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話題のCDブックプレゼント!!

11/3〜11/30 冬のキャンペーン!

ご好評につき、高音質スピーカー「KS-1HQM」をお買い上げのお客様にもれなく、今話題のCDブック「吾輩はピアノを弾く猫である」を差し上げます。

***『吾輩はピアノを弾く猫である』のご紹介。***

猫を愛する3人のピアニストによる演奏を、フジコ・ヘミングとクロアチアの画家による絵本とともに
夢にまで待ち望んでいた猫のピアノ曲集——假屋崎省吾

 猫をこよなく愛する3人のピアニスト(フジコ・ヘミング、高橋アキ、岡田博美)が、猫にちなんだクラシック曲を演奏したアルバムです。フジコ・ヘミングとクロアチアの8人の画家が描いた、かわいい猫の絵本付のCDが完成!

●収録曲は、この猫のピアノ曲集のためのセッション・レコーディングで準備されたもの(2曲を除く)で、2002年の岡田博美の録音から最新は2016年のイタリア録音(サティ「猫の歌」)まで、3人のピアニストでベストの選曲をしました。
●猫の絵は、フジコ・ヘミングの有名な作品と、クロアチアの8人の画家たちによる作品で、日本で初めて出版される貴重なものが多数含まれています。
●絵本としてはもちろん、音楽アルバムとしても、猫好きのあなたにきっとご満足いただけるものと確信しています。
[プロデューサー 井阪紘]

イングリッド・フジコ・ヘミング演奏曲の試聴はこちら

■演奏者プロフィール

●フジコ・ヘミング(ピアノ/絵)
 スウェーデン人の父と日本人の母のもとベルリンで生れ、5歳で日本へ。10歳で名教師レオニード・クロイツアーに師事、17歳でコンサート・デビュー。東京藝術大学在籍中に毎日コンクールに入賞、文化放送音楽賞受賞。日本のオーケストラと共演もしたが、20歳で再びベルリンに留学。その後は風邪薬の副作用で聴力を失うアクシデントに見舞われるなど、順風満帆ではなかった。
 1992年2月、NHKのTV特集『フジコ〜あるピアニストの軌跡』により、日本にもこれだけのキャリアと経験を持ちながら忘れられたピアニストがいた、という事実に多くの視聴者が驚き、放送後、日本ビクターで録音した「奇蹟のカンパネラ」が大ヒットして一気にスターダムに。2001年6月、カーネギーホールの公演に成功、翌年からはヨーロッパ主要都市のコンサートに招かれる。2007年2月には再度のカーネギーホール公演を行っている。
 2007年に出版された自著『パリ・下北沢猫物語』によると、猫との最初の出会いは10歳のとき母に黒猫のぬいぐるみをねだった時から。1995年ドイツから4匹の猫を連れて帰国。以来、下北沢にはいつも20匹の猫が同居し、パリの家にも6匹。留守がちなためベビーシッターならぬキャットシッターを常に雇う。
 本人は猫と音楽は私にとって人生そのもの、と語っている。

●岡田博美(ピアノ)
 富山県出身。安藤仁一郎、森安芳樹、マリア・クルチオに師事。桐朋学園在学中、第48回日本音楽コンクールで優勝。1982年第28回マリア・カナルス国際コンクール第1位。1983年第2回日本国際音楽コンクール優勝。1984年からロンドンに拠点を移し、翌年ロンドンでデビュー・リサイタル。デイリーテレグラフ、タイムズ紙で絶賛される。幅広いレパートリで知られ、ドイツ古典から近代フランスの作品、スペインや中南米の民族色豊かな曲まですべてにおいて完璧なスタイルを併せ持って演奏する。三善晃、野田暉行、矢代秋雄らほか現代作曲家の信頼も厚い。
 岡田の猫への熱愛は有名で、1984年ロンドンに住み始めた頃、近所の飼い猫が足しげく来るようになり、その飼い主の承諾を得て引き取ったのが一代目の「しょうがちゃん」。しょうがちゃんは1990年に亡くなり、今飼っている4代目は、双子のオスとメスで「ユリウス」と「ジュノム」。1996年には当時ロンドンに居た元日本コロムビア・プロデューサー橋本珠子の録音で自宅で録った私家盤の“Catsintune”を夫人の幸子さんと連弾をして制作した。常に財布には我が家の猫の写真を携帯。現在は幸子夫人とその2匹の猫が家族。2015年からは桐朋学園大学院大学教授。

●高橋アキ(ピアノ)
 鎌倉生れ。東京藝術大学大学院1年の時、武満徹作品を弾いてデビュー。1972年ベルリン芸術週間やパリ秋の芸術祭に招かれリサイタル。1973年、東芝EMIから3枚組の『高橋アキの世界』を出し芸術祭優秀賞受賞。1975年から3年に渡って『エリック・サティ連続演奏会』を行い、続いて全音楽譜出版社から『エリック・サティピアノ全集』(全13巻)を秋山邦晴監修、高橋アキ校訂で出版。東芝EMIからも8枚になる『エリック・サティピアノ音楽全集』をレコーディングして、日本におけるサティの音楽ブームに火をつけ、その第一人者となる。1980年、モートン・フェルドマンの招きにより初渡米。以来、アメリカでの活動が盛んになり、1984年には、カリフォルニア芸術大学の客員教授となる。
 猫を飼い始めたのは1982年、自宅の庭に捨てられていた4匹の兄弟の子猫だった。最後の「クロチャン」が1999年に亡くなった後は、ひどい猫アレルギーから逃れるため飼うのをあきらめる。